
05年度の高校1年用家庭科教科書の検定で、父子・母子家庭に触れたり、ペットを家族とする記述に、意見が相次いだ。これらの記述をした複数の現行教科書に対し、一部の国会議員が「これでは“家庭崩壊科”」と非難する動きがあり、01年度の前回検定から一転して「逆風」にさらされた形だ。編集者からは「現実にさまざまな家族形態があり、選択肢を示しているだけなのに」と戸惑いの声が上がっている。ペットを家族とみなす記述にも意見が付いた。開隆堂の「家庭基礎」「家庭総合」の申請本に掲載した「次にあげる関係を家族と考える?」の例示のうち、修正後は「愛情を込めて育てているペットと自分」との記述が削除された。この記述は前回検定で意見が付かなかったが、文部科学省は「家族は通常人間と考えるべきだ」と説明している。毎日新聞 2006年3月29日 19時06分 著作権法第32条より「引用」国会議員とは何かと考えてしまいそうです。教育に関しては多くの有識者によって異なった意見があり、それによって義務教育自体にも大きな影響を与えられております。最近でしたら「ゆとり教育」鳴り物入りで取り入れられ、授業時間は削減され、土曜日は休校となり、いじめや個性を伸ばすように道徳などの授業時間が増えました。結果、学力の低下が大きな問題となっております。当たり前でしょうに。授業時間が削減されれば、学力が低下してしまうなどとは僕でも考えられます。そもそも学校の授業時間内で今後必要とされる学力が身につかないこと自体理解できません。学習塾や予備校に行くことは、より高度な知識を身につけレベルの高い進学高に行く為に、別途に高価な学費を支払い、時間を割いて学ぶことではなかったのでしょうか。学校の授業で教え切れなかったことを補講とするなどとは論外です。別途に補講授業費を支払えない子はひたすら取り残される結果となってしまいます。義務教育の意味がなくなっている…なによりも辛く思うのは「教育改革を訴える誰もが無垢に子供たちのことを考えている」こと。ずるさもなく子供たちだけの為に考えているのに答えが無いのでしょうか。そのように有識者が四苦八苦しながらより良い方向を模索しているのに、力のある国会議員が雲の上から物を申しています。「愛情を込めて育てているペットと自分」は削除ですか!この議員はペットを大昔の家畜程度にしか考えていないのでしょう。色々なアンケートをとってもペットを家族だと思う人が多いことは判明しています。このような輩の為にペットは家族やパートナーと認められずに法的に物として扱われてしまいます。核家族、少子化の時代こそ、ペットは必要不可欠な家族となっいることが分からないのでしょうか。国会議員が物申すならば、責任ある立場の言葉としてその方の氏名は合わせて公表すべきと思います。HPにもお越し下さい♪ ブリーダーハウス puppy's mama
http://www2.bbweb-arena.com/puppy/index.htmlpuppy@mx3.nns.ne.jp 掲載写真は、記事の内容とは違って(我が家のワンコですが)おります。
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